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コンビニ占拠ジャーナルMinority Report

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世界バカ革命。

「世界バカ革命」が始まっている。「世界」と言っても、主要先進国の間でだけど。
「世界バカ革命」とは何か?一言で言って「バカ」(一般ピーポー、庶民、ビンボー人)が世界政治のエンジンとして政治の表舞台に現れたということ。今までテレビや新聞の提供するオピニオンに乗せられ、政治家にいいように喰い物にされてきた連中が意識せずして世界各国の政治を動かす時代になったということだ。しかし、「世界バカ革命」の担い手はダレかが代表で、ダレかが動かしている「勢力」ではなく、全てが意図せざる潮流の中で決まっていく「Unkown」な集合体なのだ。一昔前なら無視して良かったのだが、IT革命によって発言することが可能になり、それらがいつの間にか集約され、やがて政治を動かしてしまうことがある。これが「世界バカ革命」の仕組みだ。これを政治的な大衆革命とみなしたり、「これからの時代は庶民が政治を動かすんだ!」と勘違いしてはいけない。そんなのはネットの「ネ」の字も無い60年代70年代の見方であって、この時代のことが何も分かっていない戯れ言だ。
「世界バカ革命」を可能にしたのは疑いなくネットのチカラであり、そのネットに容易にアクセスできるようにしてくれたスマホタブレットなど電子ガジェットのチカラだ。これらの出現が大前提となっている、そういう何かなのだ。
このブログでは、そうした潮流(もう新しくないのかもしれない)について書いて行きたい。

まさかのプーチン押し。

現代において最も優れた政治家は誰なのか。国体・国情がそれぞれ違うのにそんなこと一概に決められる訳がない。しかし、ここでは敢えて決めつけて書きたい。なぜなら、多くのマスメディア(少なくても日本のマスコミ)では不当に低く見積もられている政治家でありながら、国家の守護者としての役割を立派に果たしている政治家(そんな政治家は稀有)がいるからだ。その政治家とは、日本ではかなり悪者扱いされているロシアの大統領ウラジミール・プーチンである。

何故彼が優れた政治家だと言えるのか。理由は至極簡単。彼がロシアを国体の崩壊から救ったからだ。

ロシアを中心とするソビエト連邦は、西欧流にソフィストケートされた書記長ゴルバチョフの「速すぎた」民主化によって、良くも悪くもソビエト連邦の中軸であったボルシェヴィキ(共産党)の弱体化を招き、結果としてソビエト連邦という国家の崩壊を招いた。その後ゴルバチョフは政治的なイニシャチブを失い、代わってより急進的な改革派と目されていたボリス・エリツィンが新ロシアの大統領となった。

しかし、彼ほど酷い政治家はいない。国家の体制の転換期という混乱した時期にリーダーシップを取ることは何よりも難しいのかもしれないが、彼が国政にもたらしたものはどうあっても許されるものではないだろう。当時のロシアはハゲタカの餌場と化していた。彼は、アメリカのウォール街に国家建設の青写真を書いてもらい、「新興財閥」と呼ばれる富裕層が国家の財産(社会主義国であったから生産手段の尽くが国家のものであった)を食い尽くしていくのを為すがままにさせた。当時のロシアはハゲタカ資本とマフィアが闊歩する無法地帯と化していた。結局彼が民主化を急いだのはより自由な社会を求めてではなく、国家を解体させ、その財産を金持ち連中に売り渡すためだったのだ。

あのままロシアが「自由化」を進めていれば、ロシアは多くのロシア人にとってとてつもなく生きにくい国になっていただろう。そこに現れたのがプーチンだった。

彼は、ロシアのスパイ機関であったKGBのボスであり、政治というものを言わば裏側から見てきた人間である。その体験によって培われた(もしかしたらプーチンの個人的な資質だったかもしれないが)現実主義は混乱したロシアを立て直すのに無くてはならない能力だった。ここで言う現実主義とは、結果が良ければその過程は問わないという姿勢である。私は諜報機関たるものがどんなものかは知らない。しかし、その後プーチンがロシアという国家を救うために行なった(であろう)ことは普通の政治家では手がつけられないような思い切った手段だったと思われる。それはおよそ民主主義とか公正とかいった概念からは遠いものだろう。しかし、彼はそうした手法によってロシアという国家が食い荒らされて荒野となるのを防いだ。崩壊しつつある国家を救って建て直すなどということは普通不可能だが、彼は為しえたのだ。これはレーニンが人類史上初の社会主義国家を建設したことに匹敵する偉業だが、それを評価する、いわゆる「西側」メディアはまず存在しない。プーチンが国家の建て直しのためならマスコミを圧殺することも厭わなかったことと大きく関係しているだろう。確かに彼は「自由主義」という概念とは共存しえない「絶対君主」なのである。

ここまで書くと、これまで書いたプーチンについての言説は独裁者礼賛にしか読めないことに気がつく。プーチンの偉大さを正確に記述することはこの上なく難しい。というよりジャーナリズムが彼を認めた途端、それは自己自身や自己が依拠する概念を尽く否定することになるだろう。彼を評価することは難しいが、彼を見ることで政治というものの難しさが少しは理解出来るのではないかと思っている。

ブログばかり読んでいるとバカになるのか。

ブログの世界には多くの才能が集まっている。トップブロガーでなくてもそれなりのアクセスを集めているブロガーはライターとして、あるいはプロデューサーとして稀有な才能とそれ以上の努力と工夫を重ねている。何千何万のアクセスを集めるということは並大抵なことではないのだ。しかしながら、トップのブロガーの皆が皆、読むに値する文章を書いている訳ではない。サイトのほとんどを素人くさい写真で埋め尽くし、改行だらけの文がそれらのすき間に配置されているようなものもある。

かと言って、プロのライターのような文章が求められているわけではない。ブログの基本は読者からの共感性とそれを支える素人くささであり、新聞や雑誌のようにエスタブリッシュされたものの保証の上で「ライター」が書いているわけではないし、読む方もしういうことは期待していない。基本、ネットで読まれるもの書かれるものは「B級」でなければならないのだ。(いわゆるマスコミに載っている文章をA級とするとしてだが。)食べ物でも「B級グルメ」というジャンルが人気だが、それはA級に及ばないというわけではなく、明らかに消費する方の期待の内容がまるで違うのだ。ブログの文章もそういう方向性で書かれてきたものが好まれるのだと思う。